2011年4月30日土曜日

あなたの妄想がミライを作る!?

はじめまして、
ミライブログ・新メンバーのakariです。
土曜担当で更新していきますので、宜しくお願いします。

妄想というと、一見ひとりよがりなもののように聞こえますが、
実は妄想こそが私達の未来を作る原動力なのです!










人が想像できることは必ず人が実現できる

これはSFの父、ジュール・ヴェルヌの有名な言葉です。
今、想像できる未来は限られています。でも明日になれば、
今日一日分の進歩を足して今日とは違った想像ができます。
そして何年もすれば、全く違った未来を作ることができるのです。
大事なのは、いま想像すること!想像しなきゃ何もはじまらない!
「今日」の想像が私達の「未来」を作ります。
つまり、貪欲に「あんなこといいな、できたらいいな♪」
と妄想を膨らませる事は、
案外私達の未来の社会作りに貢献しているわけです。

また、人間が他の動物と違って面白いのは、例え今が苦しくても、
未来や想像の世界に快感を得られる事だと私は思います。
例えば、今は片思い中のあの子と付き合う事を妄想するだけで、
私達はワクワク&ドキドキ、ハッピーな気分になれるのです!
どんな未来を嬉しく思えるか、どんな未来になってほしいか、
その未来のイメージをしっかり持つ事が
その未来を実現するための最強の武器になるはずです。

想像は未来をつくる原動力になりますが、
それを実現させるのは技術です。

そしてIT革命以後はITによって未来の形も大きく変化し、
想像できる未来の幅もうんと広がりました。
私はITと未来の妄想は、卵と鶏の関係にあると思っています。
ITの進歩を元に、未来を想像しているとも言えるし、
未来の想像を元に、ITを進歩させているとも言えるからです。
ドラえもんの道具が、いつの間にか現実のものとなっていたり、
昔のSF小説の世界が、現代の社会を描いていたりします。
昔恐れられていた魔術が、ラスベガスの手品の仕掛けが、
実は最先端の技術の結晶だった。なんてこともあります。

私は妄想にITが加わる事で、社会がより良くなる事を願ってます。

最後に、
世界初のSF映画として有名な『月世界旅行』を紹介します。
今から150年ほど昔の、1865年。SFの父・ジュール・ヴェルヌが想像した
「あったらいいな」はどんなものだったのでしょうか?
ヴェルヌが書いた小説をジョルジュ・メリエスが映像化した本作品を見ると
二人の未来への希望や夢が感じられます。

パブリックドメインとなっているので、
見た事無い方は是非ご覧になってください。

2011年4月29日金曜日

ミライのクルマ(おまけ記事)

ついでに今偶然見つけたものをもう1つ。以前にもテレビで見た事があって、いつかこのブログに載せようと思っていたものです。ミライ(?)のクルマ!




敢えて画像はつけないので、上のムービーでご覧下さい(笑)

空飛ぶクルマ

今日はミライ予測記事でいきましょう。

ミライ予測といっても、もはや実験されているもの。「空飛ぶクルマ」です。このブログでもnike君とか僕とか、以前にご紹介していますが、こちらはまた別物。

http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=2010072901&expand#title






こうやってみると、ただの飛行機に見えるんですが、「クルマ」と呼んでいるポイントはつ。


・個人専用の乗り物である事。


これでチェックインの時間がはぶけたりします。


・↓こんな感じで、陸の道路を走行する事も想定している。


 たしかにこう見ると、変なかたちの「クルマ」に見えますね。


さらに、かなり飛行免許取得が容易になっているらしいです。そこは「運転免許」という言い方をしてほしいところですが(笑)


 陸の道路は都市は飽和状態。ということで、空を「クルマ」が飛び交う日も近い、かも?!








ひきつづきミライの乗り物!





さきほど車の練習から帰ってきました!ミライブログ、新メンバーの優香です!




運転から帰ってきていいものを見つけました!先日のYSさんに引き続き・・・ミライの車予測です♪






こちら、ベンツが2040年を予測して発表したコンセプトカーです。



じゃじゃん!




















かなり近未来的な形です。





ですが、注目すべき特徴は形だけではありません。





なんとこの車、脳波で動くそうなんです!







ハンドルが見当たりません!









でも、ハンドルの代わりに・・・




上部にヘルメットがあります!

この特殊なヘルメットが脳波をよみとり、操縦します。










このコンセプトカー、完成は2040年とされていますが今のところ実現は難しいとされており、展示用となっているとか・・・。うーん残念!


運転練習から帰ってきてヘトヘトな私にとって、この車はとっても理想的!
ブレーキを脳波でかけられたらいいなあ。アクセルとブレーキの踏み間違えは怖いですものね。


でもうっかり別のことを考えていると事故に繋がってしまうのでしょうか?それはそれで、ものすごい集中力が必要とされそうですね。



いつの時代も私たちにとって、かかすことのできない乗り物。
これからどう進化していくのか、楽しみです!

2011年4月27日水曜日

デジタルサイネージが街に広まった世界って本当に便利なの?



こんばんは!  このたびこのミライブログを更新さてていただくことになったトシキです。
水曜担当なので、しばらくの間水曜はお付き合いいただけると嬉しいです^^



さて、まずはこの二枚の写真を見比べてみてください





この二枚を見てあなたは何を感じましたか?
何か違いを感じましたか?


補足させていただきますと、上は大阪道頓堀です
二枚目は品川駅構内です。(黒い四角形のはモニター)


実はこの二枚とも最近撮影されたものなのです。
つまり、どちらも震災による節電の影響を受けているということです。


普段の夜なら、大阪の有名なグリコやその周りの看板はキラキラと電飾で輝き、品川駅のデジタルサイネージは行きかう人に広告を見せます。


しかし決定的に大きな違いがあります。

それは上は何となく看板が寂しげであったり、見にくかったりするが、
下は情報量がゼロということです。


何が言いたいかというと、上のような電飾や照明によってライトアップしている広告や看板は、電気が消えると目立たないし広告としての効果が薄れるが、かろうじて確認できるので何が書いてあるのかは認識できるということです。

一方デジタルサイネージの場合、節電でモニターを切ってしまうと、もはや何も表示されなくなってしまいます。いくら目を凝らしてもそこに情報はないのです。


ここ最近デジタルサイネージは急速的に広まっており、いつかは街のいたるところにデジタルサイネージが設置されるのではないかと私は勝手に想像しています。
街の広告や看板の全てがモニターになっていて、映像が流れたり、人々と有機的に作用するインタラクティブな広告や案内が表示される街を想像してみてください。
とても「未来」な感じがするし、ワクワクするし、きっと便利です。

しかし、今回のように災害で節電を強いられた時やエネルギー不足に陥った時、一番初めにカットされる電力が「広告」に対するものだとわかりました。
先ほど述べたような近未来でデジタルサイネージの大半が消えたらどうなるんでしょう?

もしそれらが個人の端末と深く連携してたら、生活に支障が出るかもしれませんね。
モニターのMAPしか地図がない世界では、駅で迷った時困ってしまいますね。
看板までモニターで表示されてたら、初めて行くビルが目的地と同じビルかどうかもわかんないですね。

さすがに今の世の中の全ての看板やポスター、街頭ネオン、地図や案内などが電子化されるとは思っていませんが、しかしながらSFの世界でありがちな「そういう世界」が訪れた時、停電・節電時のモニター消灯による生活への支障を危惧しています。


デジタルは最先端だから故にもてはやされます。
アナログにはできないことが多いからこそ便利なんです。
だけど、アナログにしかできないこともあるんです。
そういうものって意外と身近なモノに多い気がしませんか?


私は大切なのは、モノに対しアナログとデジタルの良さをどう組み合わせるべきかを常に考えて設計するべき、ということだと考えています。



道頓堀のグリコのお兄さんがモニターの中で動いてる、なんて未来は見たくないものですね。








ミライブログ再始動!

皆さま、お久しぶりです。昨年度ミライプロジェクトメンバーのYSこと柴田です。

昨日、久しぶりにこのブログの記事が更新されましたが、ご覧いただけましたでしょうか?

我が武山研究会は今年度のメンバーが4月頭に確定し、新たな年度のスタートを切りました。そして、昨年度の実験「ミライ・ツイート・カンパニー」が様々なニュースサイト、雑誌、書籍などに掲載されるなど好評を博したミライプロジェクトは今年度も行われる予定です。

ミライプロジェクト自体は6月頃に本格始動なのですが、始動にあたって、このブログは一足早い稼動をしようかと考えました。まだミライプロジェクトのメンバーは全くの白紙なのですが、新たに武山研究会のゼミ生となった3年生たちに有志でブロガーを募り、5名がブロガーに名乗りをあげてくれました。(うち1名は途中参加)

彼らがミライ班に所属するかどうかは未定ですが、彼らの発信する「ミライ」情報や「ミライ」に対する彼らの考え方をぜひご覧いただければ、と思います。

6月頃まで、このミライブログ「②〇③〇」は、まさ、akari、肇城、優香、shoichi、そして元ミライ班で今年もミライ班内定のtomy、大学院に進学し引き続き「ミライ」について研究するYSの7名でほぼ毎日更新していこうと思っております。

武山ゼミ生はもちろん、外部の方々も、ドシドシコメントをお待ちしております。

2011年4月26日火曜日

技術やサービスは人のために在れ。

ハジメマシテ。未来ブロガ―に新たに加わりましたMASAです。火曜日を担当することになりましたので、これからよろしくお願いいたします。

さて、今季一発目のブログということなので、ここはひとつ大きなテーマを取り上げてみようと思います。

技術やサービスは日進月歩。次々に新しいモノが生まれ、古いモノは忘れ去られていく様はみなさんもご存じの通りです。

一方、技術やサービスを使う側である我々人間はどうでしょうか。100年前の人間を思い浮かべてみましょう。西暦1911年といえば、かの有名な夏目漱石の晩年期にあたります。みなさんの多くが彼の著作を一度は読んだことがあるでしょう。それだけでなく、その中に描かれる人間模様や心理描写に共感したこともあるはずです。当然ながら『坊っちゃん』の中に今私が向き合っているパソコンは登場しません。まだこの世に生まれていませんから当然ですね。

 パソコンも無い時代に書かれた小説に我々は共感している。これはつまり、人間はそう簡単に変化しない。ということを示しているのではないでしょうか。100年前であろうが、500年前であろうが、人間の根本的なところは変わっていないと思うのです。昔から男と女は色恋に忙しいのです。そしてこれからも。

 今、私はブログを書いています。私と言う人間が考えたことを、言語を通じて表現し、それを文字に起こし、ネット上にあげ、自分の考えを多くの人と共有させる。これは便利なサービスです。なぜなら私が日常において対話できる人間関係を超え、無数の人間と考えを共有できるからです。この技術がなければ、歩き回って会う人会う人に毎回同じ話をしなければなりません。

 ではもし、私がブログを書かずに実際に会う人会う人に同じ話をし、相手に反応を求めたとしたらどうなるでしょうか?話す相手の生の反応が分かりますし、こちらも適宜補足や修正を加えながらより深く考えを伝えることができるでしょう。実際に会って話さなければ得られない楽しさが見出せそうですよね。

 

こう言い換えることができるかもしれない。ブログというサービスが、人間から会って話すという楽しさを奪った。

 

自分で言っておいて申し訳ありませんが、正確に言えば上記の表現は90%間違っています。なぜなら人間は(私自身も)ブログを通じて得られる楽しさと、実際に会って話す楽しさを別のものとして勘定していると思うからです。ブログは単なる文章力の向上目的や、日記のように不特定多数に共有するつもりもない目的で書いている人もいますよね。私なんかは自由に勝手にわがままにパソコンに向かって自分の考えを滔々と打ち込めるだけでも快感です。

 しかし、技術やサービスは時に(皮肉なことに)人間から楽しさや豊かさを奪うモノにもなり得る。というのが私の主張です。技術やサービスの進歩が我々人間を追い越してしまった今、生み出す側の人間は、本当に、新しいその技術やサービスは我々人間の生活を豊かにし、楽しくさせるものなのかどうかを見極めなくてはならない。技術やサービスは人のために在るべきなのだと。技術やサービスのために人が在ってはならないのだと。

 我々武山研究会は、どこよりもこのことを肝に銘じ、人々の生活をより豊かに、楽しくする『人のために在る技術やサービス』を生みだしていきます。(って下っ端が勝手に偉そうに宣言してしましました。。。)

 最後になりましたが、なぜ私が『ブログというサービスが、人間から会って話すという楽しさを奪った。』という記述は10%正しいという含みをもたせたのか…、一冊の小説を紹介しておきます。覚悟して対峙すべし。伊藤計劃『ハーモニー』