2011年4月26日火曜日

技術やサービスは人のために在れ。

ハジメマシテ。未来ブロガ―に新たに加わりましたMASAです。火曜日を担当することになりましたので、これからよろしくお願いいたします。

さて、今季一発目のブログということなので、ここはひとつ大きなテーマを取り上げてみようと思います。

技術やサービスは日進月歩。次々に新しいモノが生まれ、古いモノは忘れ去られていく様はみなさんもご存じの通りです。

一方、技術やサービスを使う側である我々人間はどうでしょうか。100年前の人間を思い浮かべてみましょう。西暦1911年といえば、かの有名な夏目漱石の晩年期にあたります。みなさんの多くが彼の著作を一度は読んだことがあるでしょう。それだけでなく、その中に描かれる人間模様や心理描写に共感したこともあるはずです。当然ながら『坊っちゃん』の中に今私が向き合っているパソコンは登場しません。まだこの世に生まれていませんから当然ですね。

 パソコンも無い時代に書かれた小説に我々は共感している。これはつまり、人間はそう簡単に変化しない。ということを示しているのではないでしょうか。100年前であろうが、500年前であろうが、人間の根本的なところは変わっていないと思うのです。昔から男と女は色恋に忙しいのです。そしてこれからも。

 今、私はブログを書いています。私と言う人間が考えたことを、言語を通じて表現し、それを文字に起こし、ネット上にあげ、自分の考えを多くの人と共有させる。これは便利なサービスです。なぜなら私が日常において対話できる人間関係を超え、無数の人間と考えを共有できるからです。この技術がなければ、歩き回って会う人会う人に毎回同じ話をしなければなりません。

 ではもし、私がブログを書かずに実際に会う人会う人に同じ話をし、相手に反応を求めたとしたらどうなるでしょうか?話す相手の生の反応が分かりますし、こちらも適宜補足や修正を加えながらより深く考えを伝えることができるでしょう。実際に会って話さなければ得られない楽しさが見出せそうですよね。

 

こう言い換えることができるかもしれない。ブログというサービスが、人間から会って話すという楽しさを奪った。

 

自分で言っておいて申し訳ありませんが、正確に言えば上記の表現は90%間違っています。なぜなら人間は(私自身も)ブログを通じて得られる楽しさと、実際に会って話す楽しさを別のものとして勘定していると思うからです。ブログは単なる文章力の向上目的や、日記のように不特定多数に共有するつもりもない目的で書いている人もいますよね。私なんかは自由に勝手にわがままにパソコンに向かって自分の考えを滔々と打ち込めるだけでも快感です。

 しかし、技術やサービスは時に(皮肉なことに)人間から楽しさや豊かさを奪うモノにもなり得る。というのが私の主張です。技術やサービスの進歩が我々人間を追い越してしまった今、生み出す側の人間は、本当に、新しいその技術やサービスは我々人間の生活を豊かにし、楽しくさせるものなのかどうかを見極めなくてはならない。技術やサービスは人のために在るべきなのだと。技術やサービスのために人が在ってはならないのだと。

 我々武山研究会は、どこよりもこのことを肝に銘じ、人々の生活をより豊かに、楽しくする『人のために在る技術やサービス』を生みだしていきます。(って下っ端が勝手に偉そうに宣言してしましました。。。)

 最後になりましたが、なぜ私が『ブログというサービスが、人間から会って話すという楽しさを奪った。』という記述は10%正しいという含みをもたせたのか…、一冊の小説を紹介しておきます。覚悟して対峙すべし。伊藤計劃『ハーモニー』