2011年5月1日日曜日

「未来」を考えるための2つのアプローチ

こんばんは。nikeです。現在はこのプロジェクトのOBとなってしまいましたが、後輩たちにプレッシャーをかけるため気が向いたのでコラムでも書こうかと思います。

1月に「20歳のための 20年後会議」という本のレビューを書いたのですが、今回はその続編という位置付けです。この本では、おちさんと東国原さんが20年後の世界について20個のキーワードを基に所感を述べつつ、予想や希望を語る対談となっていますが、ここで考えたことが1つ。

『みんなどうやって20年後を予想してるのかな?』

ってことです。Mirai Tweet Companyでも様々な意見が寄せられたのですが、皆どのように20年後の社会像を考えてるのかなと。まずは、この「20歳のための 20年後会議」内ではどうなっているのかを考えてみます。

本の中身に触れるのも憚られるので、ざっくりと述べますが、基本的には「今(2011年現在)の社会状況を考えた上で、2030年にはこうなっていてほしい」という視点で語られているように思います。例えば、今の若者ってリスクを取ろうとしないけど、リスク取ってチャレンジした方がいいぜ…みたいな感じです。

言い換えれば、2011年現在の事実がベースになっている視点ですね。これを仮にfactサイドの視点と名付けます。このfactサイドの視点というのは、統計データから未来を予想する考え方も含まれると思います。今までのデータから未来はこうなると予想できる…という考え方です。「20年後の社会像を考えるには、20年前の社会状況を想起することもヒントになる」と仰った方もいました。これもfactサイドの視点でしょう。

一方で、Mirai Tweet Companyではこのような考え方以外から発想されたような答えもたくさんありました。例えばこんな回答。お題は、「2030年、人に楽しさや気づきを与えるアート、エンターテイメントの仕掛けを使ったワクワクするサービスが たくさん登場!あなたは、どんなサービスがほしい?」です。


#mtc19 街中で即興音楽を誰でも楽しめる仕掛け♪ 例えば、山手線のホームで低音ビートをずっと流しておいて、京浜東北線のホーム音楽がメロディ♪ずっと聞いていれば覚えるから、待ち合わせしてすぐハモれる!


これは現在の社会で特に問題になっているものを解決する、という視点ではないですね。単純に「面白そう」とか「これがあったらもっと楽しくなるのに!」という視点だと思います。言うなれば、ただの妄想ですが、妄想だって大事なんですよ、というコラムも出てきてますね。こういった妄想をwantsサイドの視点と名付けてみます。

さて、この2つの視点を比べてみましょう。

factサイドの視点には「未来の方向性を示唆できるものの、終着点は見えづらい」という特徴があると思います。統計データであれば「人口は減少するだろう」という結論が示されたとしても、20年後の人口が減った社会の姿が具体的に出てくるわけではありません。2011年現在の問題点を解決する、という視点で物事を語るのは有意義ですが、方向性を示すのが精一杯で、それが為されるかどうかも不明瞭ですし、問題点が解決した後の社会の姿が具体的には考えづらいです。

一方wantsサイドの視点には「未来の具体的な姿を提示しているものの、現実味やそこに至るまでの具体的なプロセスが欠落している」という特徴があります。2010年から、なぜこの2030年像に至るのかが分かりづらいという意見は昨年度のプロジェクト内でも出てきた意見です。

座標に例えるならば、factサイドは「2011年現在の点」と「その点から出る矢印」を示すことができ、wantsサイドは「2030年の点」と「その点から2010年へ出る矢印」を示すことができるという感じでしょうか。(2030年の点が分かると、逆算して2020年にはこうあるべき、2015年にはこうあるべき、と現在へ向けて目標を定めることができるかもしれないからです)

未来を考える際に、factサイドの視点、wantsサイドの視点、は共に重要な視点だと思います。「2010年から未来へ伸びる矢印」と「2030年から過去へ伸びる矢印」の2つで挟み撃ちのような形で未来を予想、また創造できたらいいな、と思います。


…と、ここで収まりが良さそうなのですが、最後に追記。


このプロジェクトで行っているのは、主にwantsサイドの視点でした。というのもfactサイドというのは他の研究機関や政治家が考えることが多いのではないかな、というイメージがあります。また、変化の激しい時代にfactサイドが意味を為すかということも考えなければならない点だと思います(参照)

そして、大学のような組織が行う価値があるのは、研究機関や政治家とは反対の視点であるwantsサイドなのではないか、ということ。更にwantsサイドというのはこと集めづらいということ。希求は基本的に潜在的な感情だからです。これを「一般生活者」から集めること、が1つのミッションでした

…が。

去年やっていて思ったのは、factサイドも参加者の中から提供できるのではないか、ということ。未来に興味を持つ人が集まれば(ヘビーユーザーと呼んでいました)、その人たちがfactサイドを提供するだけの力やモチベーションがあるのかもしれないな、ということです。これはこのプロジェクト自体が自走する(ファシリテーターという第3者がいなくても成立する)ことへ向けて、重要なポイントになるでしょう。


今回はここらへんで筆を置くことにします。以上、乱文失礼しました。