2011年5月11日水曜日

ベジータが付けていた「スカウター」は科学と哲学と妄想の結晶である。

※哲学とか科学とか妄想とかの綯い交ぜです。書いた本人である私が混乱してしまいましたので、ご覧になられる方はご注意ください※

未来ブロガ―から迷走ブロガ―に転身したMASAです。



「時間とはなにか。」

こんな問いを投げかけられた時、みなさんはどう答えますか。私ならこう答えるかもしれない。

「その質問に答えるには時間が必要だ。」

…というトンチはさて置き。

どう考えてもシックリ答えることはできそうにありません。そして今回、それを明確にするつもりもありません。できません。今回取り上げたいことは、時間のような目に見えない概念に関わる興味深い洞察についてです。

「時間を計る。」といったとき、真っ先に思い浮かぶものが時計ですね。時計は時間を計るために存在しています。最近では“なう”だけを教えてくれるデジタル時計も多く見かけますが、私はやっぱり“なう”に加え“うぃる”“わず”も教えてくれるアナログ時計の方が好きです。

ところでアナログは時間の経過を針の移動距離で示してくれますから、例えば10分間を『針が移動する10分間という幅』として視覚的に知覚することができますよね。中心角が60°の扇形が10分間である、というイメージです。

本題へ入ります。時計にもいくつか種類が存在しますね。例えば、砂時計や日時計、カコンッといい音が出るししおどしは水時計と言えるかもしれません。

これら時間の計測機に共通する要素としてある一定速度での変化について注目してみたいと思います。

こう言い換えましょう。

⇒時間の計測機である時計は一定速度で変化する構造を含んでいる。

冒頭の「時間とはなにか。」という問いへのヒントが隠れている気がしませんか。

他にも体重計や温度計、湿度計などその他様々な計測機器をじっくり観察すると、その構造の中に計測対象の特性が見え隠れしているように思えてきます。重さって落ちるなにかカナ、とかね。なんだか計測機って目に見えない定量的なものを可視化する機械なのねって勝手に納得してしまいました。そしてこのアプローチの仕方ってデザイン思考にも通じるとこがあるなーとか。

はて…、なんだか何が言いたかったのか道を見失いつつあるので…、見失いました。なんで突っ走ります。

では、この考え方を定性的なものにも転換できないか…。

「色っぽさ計測器」とか「ウザさ計測器」とか「興味関心計測器」とか。

………………ンンンンナンセンスッッッウ!!!!!!!!!!!!!!!!

色っぽさって“上がる”なにかでは…?ウザさって“力む”なにかでは…?興味関心って“吸い込まれる”なにかでは…?いや、“閉ざす”なにかかも。

…。(終了)

そういえばドラゴンボールという漫画に戦闘能力を測る『スカウター』という機器が描かれていましたね。あれこそ目に見えなくて、定量的に表せるのかどうかもわかんないものを可視化しようとしてて、仕組みが全くわかんなくて、っていう感じでしたよね。

目に見えぬものこそ、見てみたい。という欲望を満たす“可視化”の流れは今後も進むことでしょう。(という締め)

では最後に一句

⇒『見えぬもの 見ようとすると 見えないの』 MASA