こんにちは。金曜日担当の柴田です。
今日は先週金曜日の内容の続きとして、「なぜ『ミライ』を考える必要があるのか?」というお話の続きをさせていただこうと思います。
(前回の記事はこちら:)http://keg2030.blogspot.com/2010/06/blog-post_845.html
そして、前回はその理由の1つとして「未来について考える事で、現状についての認識をより深め、現状に対しての行動への正しいアプローチが明確になる。」というお話をしました。
若干の補足をしますと、正しいアプローチが明確になることと同時に重要なのは「だから“今”(または“今から”)やらなきゃ!」という感情が湧きやすくなる、ということです。
将来温暖化で地球がヤバくなるよー、とただ一言言われても「そうらしいねぇ」としか感情は湧きません。「やばい!だから今から何が何でも温暖化防止で私たちが個人レベルでも出来ることをしなきゃ!」という感情は喚起されないのが現状でしょう。
しかし、将来の地球の姿が明確に提示されたり、映像・写真・プロダクトなどでvisualizeされたりしたら、今行動を起こさないと!という感情が喚起されやすくなるのではないか、と考えます。
環境問題の特別番組を見て、「エコにもっと協力していこうかな」などと感じた事がある人も多いのは、特別番組で、温暖化(など)が進行した将来の姿が提示されているから、ではないでしょうか。
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さて、今日は「ミライを考える」理由の2つ目のお話をしたい、と思います。もちろん他にもいくつも理由は考えられると思いますが、大きな理由としては、先週の記事で書いた(今復習した)理由と今日挙げる理由が大きな2本柱なのではないか、と考えています。
理由2:未来の姿を考えると、企業も消費者も(すなわち我々全員が)トクをする。
うーん、ざっくりした言い方ですね(苦笑) トクって何?なぜ?といったあたりの解説が必要なようです。
例えば未来について「こうなったらいいなぁ」という意見が多数出たとしましょう。すると、その業界はその声を聞き、「なるほど、こういうニーズがあるのか」と感じることでしょう。生産者側が考えるには限界がある消費者目線の声が集まりやすい、という事です。
すると、その業界の企業はその声を実現させるべく商品開発を行います。そして出来あがった商品はいわば「未来にほしいもの」という消費者の声から生まれた商品に他なりません。
多数の消費者の要望があったために開発された商品であるため、売れ行きはある程度見込める&消費者にとっても「欲しい」が実現している。というこのようなwin-winの構図が出来るわけです。
もちろんこれだと「未来」に注目しなくても、ただ顧客の声の吸い上げ方を考えればよい、ということにもなりそうですが、そうではありません。今の例はわかりやすくするために出した例であるし、ある種ミクロな(1業界のみの)例であります。
この理由は、先週の理由とあわせて、誤解を恐れずひろーくとらえると「ミライをプラス名方向に人の手で必ずコントロールできる」という言いかえが出来るのです。
もし仮に、社会受容性のあるプラスの未来像が1つ出来上がったとしましょう。この未来像はコントロールせずとも実現すると考えられるので、問題ありません。我々のとるべき態度は簡単で「これをそのまま実現に向けて推し進めましょう」です。まぁ推し進めるといっても何をすればいいかあやふやなので、「実現に支障が出ないようにしましょう」という言い方の方がいいかもしれません。業界や企業レベルでいっても、そのために自分たちの業界・企業は何をすればよいのか、が明確になるわけです。
それではもし、社会受容性のあるマイナスの未来像が1つ出来上がったとしましょう。すると、我々のとるべき態度は「こうならないように我々は何をすればよいか、考えましょう」です。この「我々」の中には、生活者としての人と、企業としての人とが混じっています。つまり「企業として何が出来る?」「いち市民として何が出来る?」の問いが両方混ざっているということです。
同じ目標=「こうならないようにする」に向けて行う事は、企業であれば「どういう財をどう生み出すか」、我々は「どういう財を買うべきか。その財は目標にそむいた物でないか」を考えた行動をとることです。
そうすれば、皆がトクをしますね。これは「企業にもお金が入るし、消費者も必要なものを買える」という見方も出来ますが、もっと広くとらえると、先ほど言った「ミライをいい方向にコントロールできる」ということにつながるわけです。
皆さんもこれをキッカケに「ミライ」について思いを馳せてみてはいかがでしょうか。もう少しお待ちいただければ、私たちミライ班が、そのミライを形にするための方法を確立いたしますし、そのためのトライアルを行いますので!
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ところで、なぜ私たちは未来を「ミライ」と表記しているのか、と申しますと・・・(これは完全に個人的な意見ですが・・・)
「未来」と書くと、これは「未だ来ていないもの」という捉え方をしているわけです。しかし、私たちは「未だ来ていないもの」という捉え方はしていません。
「未だ来ていない」のではなく、今からでも考えられるし、未来の予兆(タネのようなもの)はあちこちにあると考えているからです。
そして、「来ていない」という言い方はある種受動的な表現ですが、来るとか来ないとかではなく、我々が想像し創造するものだと考えているからです。
だから、私たちはミライを「見来」(この先来る、すでに(予兆が)見えているもの)だととらえており、さらにミライが「魅来」(この先来る、魅力的なもの)となるように、プロジェクトを動かしていきたいと考えております。
お後がよろしいようで・・・
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