慶応義塾大学武山研究会(KEG)2011年度プロジェクト「Mirai Project」のブログです。2011年度ミライプロジェクトメンバー確定しました。計6人の学生メンバーでブログを更新していきます。
2011年4月27日水曜日
ミライブログ再始動!
昨日、久しぶりにこのブログの記事が更新されましたが、ご覧いただけましたでしょうか?
我が武山研究会は今年度のメンバーが4月頭に確定し、新たな年度のスタートを切りました。そして、昨年度の実験「ミライ・ツイート・カンパニー」が様々なニュースサイト、雑誌、書籍などに掲載されるなど好評を博したミライプロジェクトは今年度も行われる予定です。
ミライプロジェクト自体は6月頃に本格始動なのですが、始動にあたって、このブログは一足早い稼動をしようかと考えました。まだミライプロジェクトのメンバーは全くの白紙なのですが、新たに武山研究会のゼミ生となった3年生たちに有志でブロガーを募り、5名がブロガーに名乗りをあげてくれました。(うち1名は途中参加)
彼らがミライ班に所属するかどうかは未定ですが、彼らの発信する「ミライ」情報や「ミライ」に対する彼らの考え方をぜひご覧いただければ、と思います。
6月頃まで、このミライブログ「②〇③〇」は、まさ、akari、肇城、優香、shoichi、そして元ミライ班で今年もミライ班内定のtomy、大学院に進学し引き続き「ミライ」について研究するYSの7名でほぼ毎日更新していこうと思っております。
武山ゼミ生はもちろん、外部の方々も、ドシドシコメントをお待ちしております。
2011年4月26日火曜日
技術やサービスは人のために在れ。
ハジメマシテ。未来ブロガ―に新たに加わりましたMASAです。火曜日を担当することになりましたので、これからよろしくお願いいたします。
さて、今季一発目のブログということなので、ここはひとつ大きなテーマを取り上げてみようと思います。
技術やサービスは日進月歩。次々に新しいモノが生まれ、古いモノは忘れ去られていく様はみなさんもご存じの通りです。
一方、技術やサービスを使う側である我々人間はどうでしょうか。100年前の人間を思い浮かべてみましょう。西暦1911年といえば、かの有名な夏目漱石の晩年期にあたります。みなさんの多くが彼の著作を一度は読んだことがあるでしょう。それだけでなく、その中に描かれる人間模様や心理描写に共感したこともあるはずです。当然ながら『坊っちゃん』の中に今私が向き合っているパソコンは登場しません。まだこの世に生まれていませんから当然ですね。
パソコンも無い時代に書かれた小説に我々は共感している。これはつまり、人間はそう簡単に変化しない。ということを示しているのではないでしょうか。100年前であろうが、500年前であろうが、人間の根本的なところは変わっていないと思うのです。昔から男と女は色恋に忙しいのです。そしてこれからも。
今、私はブログを書いています。私と言う人間が考えたことを、言語を通じて表現し、それを文字に起こし、ネット上にあげ、自分の考えを多くの人と共有させる。これは便利なサービスです。なぜなら私が日常において対話できる人間関係を超え、無数の人間と考えを共有できるからです。この技術がなければ、歩き回って会う人会う人に毎回同じ話をしなければなりません。
ではもし、私がブログを書かずに実際に会う人会う人に同じ話をし、相手に反応を求めたとしたらどうなるでしょうか?話す相手の生の反応が分かりますし、こちらも適宜補足や修正を加えながらより深く考えを伝えることができるでしょう。実際に会って話さなければ得られない楽しさが見出せそうですよね。
こう言い換えることができるかもしれない。ブログというサービスが、人間から会って話すという楽しさを奪った。
自分で言っておいて申し訳ありませんが、正確に言えば上記の表現は90%間違っています。なぜなら人間は(私自身も)ブログを通じて得られる楽しさと、実際に会って話す楽しさを別のものとして勘定していると思うからです。ブログは単なる文章力の向上目的や、日記のように不特定多数に共有するつもりもない目的で書いている人もいますよね。私なんかは自由に勝手にわがままにパソコンに向かって自分の考えを滔々と打ち込めるだけでも快感です。
しかし、技術やサービスは時に(皮肉なことに)人間から楽しさや豊かさを奪うモノにもなり得る。というのが私の主張です。技術やサービスの進歩が我々人間を追い越してしまった今、生み出す側の人間は、本当に、新しいその技術やサービスは我々人間の生活を豊かにし、楽しくさせるものなのかどうかを見極めなくてはならない。技術やサービスは人のために在るべきなのだと。技術やサービスのために人が在ってはならないのだと。
我々武山研究会は、どこよりもこのことを肝に銘じ、人々の生活をより豊かに、楽しくする『人のために在る技術やサービス』を生みだしていきます。(って下っ端が勝手に偉そうに宣言してしましました。。。)
最後になりましたが、なぜ私が『ブログというサービスが、人間から会って話すという楽しさを奪った。』という記述は10%正しいという含みをもたせたのか…、一冊の小説を紹介しておきます。覚悟して対峙すべし。伊藤計劃『ハーモニー』
2011年1月31日月曜日
第2回トライアルワークショップ ~補足編~
今回のワークショップでは、13人の参加者の方々に対して、第2回トライアルで集まったツイートを基に
今回のワークショップの目的は大きく2つありました。
- トライアル参加者の方々に未来像をまとめてもらう
- 新しいワークショップの手法への挑戦
今回の方が参加者へのFBとしての効果は高いように思われます。13人の参加者の中にはトライアルに積極的に参加してくれた方々も多かったので、コアサポーターの方同士で仲良くなってくれないかな、という狙いもありました(笑)
また、今回は前回と違ったアウトプットの出し方を試しました。スライドの中にもありますが「Design the box」と「Cover story」ですね。未来という不確定な事象に対するアウトプットの出し方というのは難しい課題が多いです。プロトタイプを作るというのは難しいし、実現してしまうものであれば「未来」とは言い難い。そこで、アウトプットや発表の方法というものも工夫が必要になってきます。
前回のワークショップではいわゆる「Story board」、20年後のストーリーを発表してもらうという形式を取りましたが、これだけでは様々な事象に対応できるとは思えません。そこで今回は…
- 「モノ」を考える時に強い『Design the box』
- ストーリーにしづらい、「ライフスタイルや価値観」に強い『Cover story』
<前半>
<後半>
(途中でネットの接続が切れたため、やむを得ず前・後半に分けました…orz)
今回のワークショップに関するレポートは以上になります!ワークショップに参加してくださった学生や社会人の皆様、本当にありがとうございました。そして、また機会があれば、よろしくお願いします!
2011年1月29日土曜日
第2回トライアルワークショップ「未来を作ろう」後編2
「2030年、教育の現場ではどのような科目を教えているのでしょうか?どれくらいの年齢で教えているのかも添えて教えてください。」
このお題でのテーマ「教育」の未来像を考えてくださったのはこのグループです。
笑顔がこぼれ楽しそうなご様子です。
さて、こちらは紙芝居形式にシーンを沢山イラストにしてくださったので、先にこのグループの「教育」の考え方を追っていくことにしましょう。
ツイートの傾向を見ると、2030年は「座学」(座って受ける講義形式の授業)以外に2つのスタイルの授業が増えるのではないか、という見方をしました。それは、
●実践を重視する形式の授業
●人間関係の構築につながる授業
です。
そこからこのグループは2030年の教育のテーマを「人間関係の形成」「主体性を伸ばす」の2点に置きました。
しかし、人は誰でも「苦手だな」と思う人とはあまり関わらないようにしたがりますし、仲のいい人とは逆にいつも一緒にいる傾向があります。また、主体性というものも、勝手に生徒たちに任せていれば伸びてくる、というような簡単なものでもないでしょう。
そこで、2030年の教育は、この2点に焦点をしぼった上で、それらを「教育においての管理体制の下」行なう、というスタイルを考えました。
一見すると、主体性を促すのに管理体制を敷くのは矛盾しているように思えますが、主体性が誰でも自発的に実につけられるものではない事を考えると、主体性の促進自体は管理しながらやらせていかなければ実現しない、という事ですね。
さらに、この考え方は基本的にはツイートに基づいて作った考え方です。したがって「社会みんなの意見の傾向」という言い方ができます。教育方針の軸は、こうした社会のみんなの意見をもとに作った、という設定になっています。
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さて、それではこの2点の軸での教育の例を、写真とともに見てみることにしましょう。設定は小学校です。
まずは1点目「実践を重視する(主体性を伸ばす)授業」です。
case 1. 『お母さんに伝えよう!』
今問題視されているものの1つとして「モンスターペアレント」の問題があります。この問題は20年後も対応しなければいけない問題であろうと考えます。ではモンスターペアレントはなぜ生まれるのでしょう?このグループではその解の1つとして「子供が断片的な情報を伝えるから」ではないかと考えました。
例えば、給食である子だけカレーライスの具であるお肉が3切れしかなかったとしましょう。他の子は4切れあるのに。
給食係も悪気があってやったわけじゃないこの出来事を、この子が親にこう伝えたとしましょう。
「給食のとき、他の子は皆お肉4切れだったのに、僕だけ3切れしかもらえなかった!」
これを聞いた親は、「うちの子、いじめられているんじゃないの?」と思ってしまう。配分にわずかな差が出来てしまったという事実だけを聞いたからです。そしてこの子の発言自体もこの子の気持ちが移入されてしまっています。
こんな事を聞いた親はどうするか、というと・・・そう、学校に乗り込むわけです!「うちの子はいじめられています。学校は把握しているのですか?どう対処してくれるのですか?」と。
さて、ではこの問題を20年後どう解決するか、というと、2本柱の1つ「主体性を伸ばす」にかこつけるのです。具体的にはこちら。
生徒達には「~~~と伝えるのですよ。では実践練習です。今日おうちに帰ったら早速お母さんに伝える練習をしてみて下さい。」と伝えます。そう、主体性を促す授業にしか見えませんよね?しかし実際にはモンスターペアレント対策にもなっている、というわけです。
case 2. 『情報選別能力を身につけよう!』
必要なもの/そうでないもの、正しいもの/正しくないもの、色んな情報があふれるこの情報社会。20年後はそれがもっと加速している事でしょう。そんな社会において必要となるのは「情報を選別する能力」です。知りたい情報がどこにあるかを探す能力も大事ですが、見つけたその情報が正しいかどうかの能力も見につけなければなりません。
そこで2030年には、情報選別能力をつけるための授業が行われます。そして、その授業にはゲスト講師がいらっしゃいます。そう、あのGoog〇eの方です。2030年は社会ぐるみで、社会に出て恥ずかしくない人材を小学校のうちから育てようという方針が見え、それゆえ産学協同で教育を行なっていくという考え方になっていくのです。
その代わり、検索の練習などではgoog〇eを使う、そしてgoog〇eの「自分たちの教育を助けてくれた」というイメージを持ってもらうわけです。win-winの関係が作り出されるというわけですね。
case 3. 『お買い物も教育。食も教育。』
そうそう、この例にはまだいいことがあって。。。
この子、残ったリンゴの芯を見て、これを0個と数えてよいのか、これも1個なのか、・・・などと悩んでいます。やってみて初めて出てくる疑問。そしてそもそもそのようなものに自分から疑問を抱く頭になる事。これもこの教育が目指しているところです。
あ、そうそう。もしモンスターペアレントがこの教育方針に疑問を持ったとしましょう。しかし、その教育は社会の声を反映させて作った軸に基づいているわけです。
「政権交代を支持した投票者にも責任がある」のと同様、その教育形態を支持した社会はこの教育を不満に思ったとしても学校や先生に不満をぶちまけるのはお門違い、というわけです。
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さて、それでは「人間関係の構築」に力を注いだ授業内容も少し見てみましょう。
case 1. 人間関係をデータベース化
そして、心理学的見地からも「この2人はうわべでは仲良さそうに振舞っているが実は仲はよくない」などといったことが技術的に読み取れるようになり、それらもデータとして蓄積されていきます。
そうすると、「誰と誰が仲が良い」「誰が誰を好き(or嫌っている)」「誰と誰は普段仲がいいが今はケンカ中」「誰と誰は気が合うはずなのに、クラスや席が一緒になったり近くなったりしたことがないからあまり話したことが無いという理由だけでまだ仲良くなっていない」といった事がデータで溜まっていきます。
これも「強力な管理」の一種ですが、これもここまでデータを採取している事は敢えて生徒達には教えません。2010年現在以上に伸び伸び学校生活を送ってもらうためです。
case 2. 席や班決め
社会に出れば自分と気が合う人と仕事が出来るとは限りません。時には取引先や上司で「いやーな」人がいても、上手くやっていかなければいけないわけです。その訓練を教育で学ばせ、人との付き合い方を学んでもらうわけです。
case 3. 主体性に組み込む
先ほど話に触れた主体性にこの人間関係構築の話を組み込むことも考えられます。
このように「学校外」でも教育はされていくようになるし、そこで「人間形成」もなされます。さらに、その宿題の成果はなかなか学校側は捕捉しづらいわけですから、リュックサックにセンサーを埋め込むなどして、その様子を把握できるようになるとよりよいです。もちろんそれは生徒には内緒。
これも強力な管理の1つです。一見すると「そんな教育いいのか?!」「許されるのか?!」といった意見も聞かれそうですが、それは最後までネタばらししないで、このような管理を、管理と見せず、さりげなく「B君と一緒に帰ることにしよう」と先生が生徒に唆す。そんなことが出来れば、生徒は伸び伸びやれて主体性を伸ばしてもらっている、と思えることでしょう。
裏を知るとショックかもしれないけど、「裏」を知れるのはせいぜい大人になってから。そして、大人になったころにはその教育方針の意図が汲めるほど頭も大人になっているわけですから、今さら反対しないだろう、というわけですね。
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さてさて、最後に成績について軽く触れましょう。こんな教育体制になった場合、成績はどうつけられるのか?というのは考えねばならない点なのですが、2030年の成績表はこのグループはこんな感じになるのではないか、と考えました。
今まで通り5段階評価などの成績はつきます。しかしそれだけにとどまらない成績表が出来るのではないか、とこのグループは考えています。
例えば図中の右上の折れ線。これは、その人が誰とどれくらい会話しているか、や、普段昼ごはんは教室のどのあたりで(=誰と)食べる事が多いのか、など、色々なデータを開示しています。
そして下でアドバイスを出しています。これはあくまでプラスな事を言う欄。でないとデータベース化に関してよい印象を生徒達は持たないですからね。このようなアドバイスが出来るのもデータベース化の利点と言えます。
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以上が「教育」グループの未来像です。
なかなか尖った未来像に仕上がったな、という印象で、賛否両論に非常に分かれやすそうな内容になったと思います。しかし、ただこの「像」だけを見て意見するのではなく、その裏にある思いや目的まで汲んでみると、納得できる部分もあるのではないでしょうか。
第2回トライアルワークショップ② 後編
第2回トライアルでは計6つのお題でご意見・アイデアを募集しました。今回のワークショップではそのうち4つのお題の未来像を作りました。
今回は我々慶應大学武山研究会の学生ではなく、トライアルにご参加いただいた外部の方々にお集まりいただき、未来像を考えていただきました。トライアル中に集まったツイートを使いながら、この方々の考えも交えて未来像を作っていく、ということを行ないました。
今回は「後編」としまして、そのうち2つのお題の未来像をご紹介しようと思います。
最初のお題はこちら:
「今から夕食の時間です。どこで何を食べますか?」

そして、このお題に対しての未来像を描いてくださったのはこちらの方々です。
完成した未来像を発表している様子です。
では、どんな未来像になったのか、ご紹介いたしましょう。
集まったツイートを見てみると、夕食の食べ方についての考えは人それぞれ。皆で食べている人もいれば1人で済ませる人もいる。家で食べている人もいれば外で食べている人もいる。いつものメンバーで食べている人もいれば食を通じて新たな知り合いを作る事を考えている人もいる。
そんなツイート状況の中、このメンバーはどのように未来像を作ったかというと・・・
『食事の取り方・位置付けは人それぞれ!だからそれが活かせるような像を作ろう!』
非常に興味深いことに、このメンバーは、ツイートのうち多い傾向のものを採用したり、どれかの方向に絞ったりするのではなく、多様性をそのまま残して未来像を作っていきました。そして完成したのがこちら!
ちょっと見ただけではおわかりいただけないかもしれませんね。説明をしていきましょう。
今載せた図は「田中家」という、2030年のごく一般的な家族(家系)の図です。この田中家を例にとって、このグループは2030年の食の未来像を考えてくださいました。
まずお父さんとお母さんですが、2010年現在「中年」くらいの年齢で、東京でまだバリバリ働いているような人です。従って2030年には60~65歳くらい。まだ東京のマンションに住み続けていますが、仕事は定年退職しています。
20年後は食べるものはそこまで変わってはいないけれど、それを手に入れる手段やバリエーションが変わっていきます。
この夫婦は、食材をデリバリーしてもらい、届いた食材を料理して食べている、というのがよくある夕食風景になっています。
2010年現在、「家族での団欒の食事」という食事形態が家庭において薄れてきている中、2030年には「お茶の間の共有」が行なわれます。今でいう「シェアハウス」のようなスタンスですね。作ったものをみんなの「共有食卓」に持っていき、作ったものを交換したりしながら夕食を食べるという食べ方が出てくるのではないか、ということです。
このようにして、今ではかなり廃れている「ご近所づきあい」が一つの復活の形を見せ始めます。
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さて、そして子供たちに話を移しましょう。
まず息子はかなりの田舎住まい。2010年だと「田舎で農業」という考え方になりますが、IT技術の発達などで「在宅ワーク」がしやすくなってきます。つまり、都会に住む必要も無いし自分の足で色々なところに行く必要もなくなっているという状況です。
すると人はどういうところに住むか、というと、ごちゃごちゃした都会ではなく、空気が綺麗で自然にあふれている「田舎」や「地元」、また自分の好きな所などに住むようになるわけです。
この息子夫婦は共働きですが、2人とも基本はデスクワークなので、(通勤などの時間もない分)比較的ゆったりした時間(仕事)を送っています。つまり、時間的な余裕も生まれるわけです。そこで、「せっかく田舎に住んでいるのだから!」ということで、この息子夫婦は裏庭に小さなビニールハウスを作り、野菜を生産します。これも一種の「兼業農家」ですね!世界を股にかけるバリバリITマンであり、農家の人でもある、という、今だとかなり「異色」な掛け持ちです。
このような野菜も自分たちの食卓に上がることもありますし、東京に住んでいるお父さんお母さんにあげたりもします。
さて、この息子夫婦には子供が2人います。この息子夫婦は在宅ワークとはいっても仕事が立て込む時期というのがどうしてもあります。そんなとき、8才と6才の子供たちに料理のお手伝いをしてもらいます。
「8才や6才の子供だけに料理を任せるのはまだ不安」と考えるのはもう古い!2030年には、料理中に調味料を入れるタイミングや、工程を間違えたときの指摘をして(教えて)くれるコンピュータシステムがあるので8才や6才の子供でも安心して料理が出来るわけです。
他にもこのコンピュータシステム、色んな事をしてくれます。例えばメニューをおすすめしてくれる機能。これにレシピまで教えてくれれば、新たなメニューも簡単に出来てしまいます。
さらに、毎日の食事の記録をログとしてとってくれて、そのデータを分析して栄養の偏りなどを警告してくれる機能もあります。
つまり・・・
料理は自分たちでしており、食材も自分たちが調達するのだけど、管理・提案をしてくれるシステムが新たにできる事により、2010年以上にバラエティ豊かな食事メニューを簡単に家庭で楽しめるようになる
というわけです。
そしてさらに、それがSNS的につながっていると、お父さんお母さんとのつながりもただ「食材を送る」だけの関係にとどまらなくなります。お父さんお母さんはジャンクフード志向だったとすると、2030年(60~65歳くらい)になってもまだハンバーガーなどのジャンクフードを食べていることが考えられます。すると、栄養面などから、ネットワークを通じて子供たちが親に栄養のあるヘルシーメニューを提案してあげたりすることが出来るようになります。
そして、送った食材を使ってせっかくなので、“一緒に”食事をします。もちろん東京暮らしと田舎暮らし、物理的な距離は相当あるので直接会って食事するのは簡単な事ではないですが、20年後技術が進んだAR(拡張現実)技術により、お互い遠い距離で各々の家にいながら、一緒に食卓を囲んでいるかのような仮想空間を体感する事ができます。
家族だけでなく、都会で働いている親友ともバーチャル飲み会を行なう事もしばしば。今の「家飲み」とは違って、家なんだけど外で飲んでいる感覚を味わうことができ、大満足です。そうそう、実はお酒が弱いこの息子、酔っ払ってへべれけになっても実際には「家」で飲んでいるわけなので、家まで送ってあげる心配はいりません。もう家にいるのですから。
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一方お父さんお母さんのもう1人の子供、娘はというと、こちらは未だ独身。バリバリ働いて稼いだお金は趣味につぎ込むタイプです。
この人は旅行、とくにアジアへの旅行が趣味で、パクチー料理に今はまっています。そこで、パクチー栽培を兄に頼んでしてもらって送ってもらいます。
ここからが更に新しいのですが、兄から送ってもらったパクチーを妹は全部自分で消費するのではなく、旅行コミュニティなど、自分が所属しているコミュニティにおすそ分けします。しかもただもらったパクチーや、それを使って作ったパクチー料理を渡すだけではありません。こういうコミュニティがこぞってご飯を食べれる「イーティングスペース」をレンタルするビジネスが2030年にはあり、厨房を使わせてくれます。
妹はこのコミュニティのメンバーと集まり、自分がよく行く地域でよく食べるパクチー料理を再現し、皆に振舞います。他のメンバーたちも自分のお気に入りの他国料理や最近行って食べた他国料理を振舞うスペースになっています。つまり、
世界の食卓を趣味で共有する
ことがなされるわけですね。
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さらに2030年には非常食や栄養補助食品も進化を遂げています。カロリー〇イトやウィ〇ーインゼリーなども味はもちろんのこと、これさえ食べれば「10秒チャージ2時間キープ」どころの騒ぎではない「キープ」ができるようになります。これで、忙しくて食事時間すら惜しい人も、それなりの満足の味で1日もっちゃうようになります。
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さて、まとめてみましょう。
2030年、「食べ方」というのは大きく項目立てをすると次のようになります。
●自宅で食事。2010年の今と似ているが、食材調達やデリバリーなどは今よりもたやすく、頻繁に行なわれる。
●「ご近所シェアハウス」がある。お茶の間やちゃぶ台自体を共有しているかのごとく、近所にすんでいる人たちが顔を突き合わせて食材や料理を持ち寄る。ここには1人暮らしのご老人なども、社会とよりつながっていたいという理由で数多くいる。今薄れている「ご近所づきあい」や「おすそ分け」の復活とともに、孤独死問題などの解決にもなる。
●田舎で食事。ただ田舎で農家をしてそこで採れた食材で料理するだけでなく、メニューの提案や栄養管理、レシピや調理法の注意・ワンポイントアドバイスのようなこともしてくれる。
●家にいながら、遠くの人とAR技術などで一緒に食卓を共にしている感覚を持てる。今までよりも気軽に友達を食事や飲みに誘えるようになる。(←場所の問題が解決されているから)
●コミュニティで食事。料理を提供するのではなく料理・食事スペースを提供するサービスがはじまる。厨房を使って、持ち寄った食材で自由に料理をし、コミュニティ内で料理を振舞い合う。
●食事している時間も惜しいほど忙しい時は、進化した栄養食を少し食べるだけで、1日はもつ。今のように「バリバリ」働く人のつよーい味方。
こんな感じですかね。
ふー、だいぶ長くなりましたが、やはりこのように数多くの食事形態が出てきたのは、
●食事に求める事が人それぞれ違うから。
⇒食事をただの摂食行動としかとらない人(食事より仕事が大事と思っている人)もいれば、食事は食を介して人とのコミュニケーションをはかる重要な場ととらえる人もいる。だから今回の例のように家族でバーチャルに“一緒に”食事をするケースも増え得るし、進化した栄養食で済ませる人も出てくるのだろう。
●食事選択が易化するから。
⇒ひとつはデリバリーなどのニーズの高まりにより、ほしい食材をすぐデリバリーしてもらうのが普通の文化になっているであろう、ということ。そして、AR技術の進化などで、バーチャルに顔を合わせることができるようになるおかげで、物理的な距離が理由で一緒に食事できない、という問題を解消してくれるであろう、ということ。この2点が大きいだろう。
といったまとめが出来るのではないか、と思います。食べ方への多様なニーズを満たす環境が整い、そして個人に届くサービスが充実していくのではないか、ということですね。さらに、多様なビジネススタイルとの両立もキーワードなのかな、と感じました。
また、注目したいのは、この話題は「食」に限らない、ということです。あまり気にせず文字にしましたが、「そもそもお父さんお母さんは本当に65歳で定年を迎えるのか?!」といった問題や、「小学生が料理しているが、小学生の教育はどうなっているんだろう?」といった問題など、他の問題と複雑に密接にかかわりあっている問題であると感じました。
長くなったので2つ目のお題の結果(未来像)は別エントリーで掲載させて頂きます。